安土城跡に行きたかった まさと(@masato_s0125) です。
ずっと前から安土城跡に行きたいと思いつつこの日までずるずる先延ばしになってました。
そしてついに決心して行動に移しました。
安土城跡を訪れる
JR京都駅から40分ほどでJR安土駅に来ました。思ってたより近く乗り換えなしで来ることが出来ました。ちなみにここから5つ先にはJR彦根駅があり彦根城に行くことが出来ます。
JR安土駅前には織田信長像があります。観光で来た人はこの像を撮影してから出発してました(笑)
京都より少し気温が低く風が吹いていたので少し寒く感じました。ただ日差しが強烈だったこともあり、歩いていると暑くなってきて日に焼けて肌が真っ赤かになってしまいました。(^◇^;
この安土山に安土城がありました。今もお城があったなら結構目立つ大きなお城だったかもしれませんね。ちなみに目の前の畑や田んぼは昔お堀だったようです。
GPSロガーを持ってウロウロしていたのですが、記録した移動経路はこの様な感じになっています。
大手道から安土城跡に行くことになります。この石段はずーっと上まで続いています。この石段が不規則で上に行くに従って段差が高くなって非常に登りづらかったです。(^^;
大手道に入ってすぐの左側に羽柴秀吉邸後跡があります。上段と下段に敷地が別れているのですが結構な広さがあります。
大手道は実は石垣で塞がれていて石垣の上には摠見寺がありました。発掘前の大手道の写真を見ると50m登るとそこに石垣がそびえていたようです。
平成元年から始まった発掘調査で現在の姿だったことが分かり、大手道の右側にあった徳川家康邸跡に摠見寺仮本堂として移されています。
大手道を登り切ったと思ったら、まだジグザグの石段が続いてました。(^◇^;
少し登ると三重塔へ向かう道と天主へ向かう道に別れてます。
天主へ向かう途中に織田信雄四代供養塔があります。ここは見逃してしまう可能性があります。たまたま何か有りそうだなと思って行ったのがここでした。
ここに二の丸がありました。
二の丸跡には天正11年に羽柴秀吉が信長公本廟をここに作り、太刀、烏帽子、直垂などの遺品が埋葬されています。
ここが本丸跡です。この先の右側には三の丸跡があるのですが行き止まりになっているようです。また三角平跡もあるのですが、ここも行き止まりで先へは行くことが出来ない。整備され行けるようになればいいんですけど難しそうですね。
ここが天主跡です。あの安土城がここにあり431年前ここに織田信長が居たと思うとゾクゾクする。
ただ想像していたよりもあのお城からしたら狭い感じがします。焼失せずにそのまま残っていたならば素晴らしいお城だったに違いありません。今では模型でしか見ることが出来ないのが非常に残念です。
少しでも雰囲気が分かるようにvineで動画撮影してみました。
天主から見える景色です。土台部分からの景色なので安土城の天主からならもっと素晴らしい景色が見えてたのは間違いない。
天主から見える風景は田んぼや畑ですが、当時は水で覆われており琵琶湖の内湖だったのです。安土城があった安土山周辺はこの水で覆われておりお堀の役目も果たしてたようです。
天主からは先ほどの二の丸跡にある信長公本廟を上から見ることが出来ます。
来た道を戻り先ほど別れた地点からもう一方へ進むと三重塔があります。横には摠見寺本堂跡があり、その本堂跡から三重塔を撮影してみました。
天正3〜4年に甲賀の長寿寺から移建されたようで、安土城よりも古いことになります。何度か修復されたようですが、この三重塔は当時のままの姿のようです。
三重塔から下へ降りて行くと二王門が見えてきます。
二王門の正面です。この二王門も甲賀から移されたようで安土城より数年古いようです。
金剛力士像は応仁元年(1467)に造像され門と同様に国指定重要文化財になっています。
あとは下って降りて行くと羽柴秀吉邸跡に出てきます。以前は百々橋の方へも降りることが出来たようですが、今は通行止めになっており行き来することが出来ません。
大手道の前には駐車場とトイレがあります。駐車場の料金は500円のようですが駅から歩いて来たので詳しくはチェックしてないので分かりませぬ。(^^ゞ
「安土城天主信長の館」「滋賀県立安土城考古博物館」「安土町城郭資料館」も行ったので後日記事を書く予定なのでつづきます。
本日のまとめ
お城など建物はほとんど残っていませんが、歴史を肌で感じることが出来る場所でもあります。京都駅から電車で40分ほどで行くことが出来るので、興味がある方は一度行ってみることをお薦めします。