日航機墜落事故から28年あのとき私も同じ空の上にいて伊丹空港へ向かっていた

雑記

飛行機からの景色

まさと(@masato_s0125) です。

1985年8月12日 18時56分 日本航空123便が御巣鷹山に墜落した事故から28年が経過しました。あの時のテレビから流れてくる映像を今でも鮮明に覚えています。

あの日あの時、私も同じ空の上に居ました。鹿児島空港から大阪の伊丹空港へ向かう飛行機の中だったのです。当時は高校生で鹿児島まで一人旅をした帰りでした。事故がなければ伊丹空港ですれ違ってたかもしれない日本航空123便の乗客達。

当時の伊丹空港は普段と変わらず、まだその頃は消息不明になっていたことすら伝わっていなかったと思います。私が知ったのは家に帰ってから日航機が消息を絶って行方不明と伝えてたテレビのニュースです。

その後、御巣鷹山に墜落してたことを知りテレビの映像で無残な姿をさらしている飛行機の映像、そして生存者のヘリによる救出シーンはかなりの衝撃を受けてしまいました。もしこれが自分が乗っていた飛行機だったら。。。

この事故が起きるまでは飛行機が大好きで1〜2年に1度は飛行機に乗っていました。それがこの墜落事故以降は飛行機に乗るのが怖くなってしまいました。飛行機に乗るたびにこの時の記憶が蘇ってしまいます。

 

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本日のまとめ

この事故のことを知らない世代も今では多いでしょう。しかしこのことを風化させてはならない。

飛行機事故がなくなることはないでしょう。確率は低いかもしれないが起きることなのです。日本航空123便を操縦していた機長たちは乗客の命を護るために諦めることなく最後まで頑張っていた。

いくら飛行機の技術が進歩しても最後は人間が操作しなければならないことになる。

乗客乗員520名のご冥福をお祈りいたします。