前回ご紹介した醍醐寺の下醍醐に続いて上醍醐に行ってきました!
上醍醐は山の上にあります。
以前に山登りした記事を書きましたが、それがここなのです。山なので行くべきか悩みましたが、ブロガーの悲しい性「これってオイシイじゃん」って思ってしまい登ってしまった(笑)
確かにネタ的には上醍醐は素晴らしかった!
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総本山 醍醐寺(上醍醐)
こちらが上醍醐の入口になります。
色々な看板が立っていて神聖な場所でもあることを示している。
上醍醐の鳥居です。この前を進むともう後戻りは出来ません。
覚悟はすでに決まっています!ネタのためにw
「成身院 女人堂」です。
ここの右にある建物で入山の受付をしています。入山料は大人600円、中学・高校生300円、小学生以下は無料となっています。
上醍醐は江戸時代末期まで女人禁制だったこともあり当時は女性が入れるのはここまでで、女性はここから上醍醐寺に向かって参拝したとのこと。
いよいよ入山です!
足場の悪い山道を歩いて上を目指します。約1時間の道のりとのことです。
時刻は12時6分。
20分ほど歩くと「不動の滝」があります。
時刻は12時26分。
不動の滝からはこのように階段が整備されて歩きやすくなっているのです。
しかし!整備されているのは見えているところだけだったのです。(^◇^;
入口から休まず登り続けて45分「上醍醐寺務所」に到着しました。
この左側の参道を通って上を目指します。
涼しい季節なのにもう汗だくですよ。そして何人もの人を抜かしましたが、若い人はおらず年配の方が多かったです。そりゃそうだよね。(^^;
時刻は12時51分。
上醍醐寺務所から少し歩くと良い雰囲気の「清瀧宮拝殿」が現れます。山腹をわずかに切り開いて前面が崖にさしかかる懸造りの構造になっています。
「清瀧宮拝殿」(室町時代・国宝)は寝殿造りの手法を生かした気品ある風格が漂っています。
ここが「醍醐水」です!
醍醐寺発祥の地で、聖宝・理源大師が山上に立てた隠遁場所です。大師が霊力によってこの泉を発見し、今でもこの霊水を飲むことができます。
少し登ると先ほどの清瀧宮の本殿があります。
場所的に少し分かりにくかったこともあり最初はスルーしてしまい、下山時に気がついて寄りました。(^^ゞ
もう少し登ったところに開けた場所に出くわします。
そうここが「准胝堂跡」なのです。2008年8月23日の23時頃にあった落雷により火災が発生。観音堂「准胝堂」は焼失してしまいました。ニュースで見て衝撃を受けましたよ。
西国三十三ヵ所巡礼の札所だったのですが、今は下伽藍観音堂(旧大講堂)にて授受されるようになっています。
落雷で出火か、観音堂全焼 京都・醍醐寺 – 47NEWS(よんななニュース)
在りし日の「准胝堂」です。この建物が落雷で焼失した。誠に残念です。
准胝堂跡には「火の用心」の看板が!なんか皮肉にも思えるんだなこれが。(^^;
そして水盤舎は水が出ていないのがなんとも。。。
実は入口には「上醍醐准胝観音堂再建ご寄進おお願い」の看板が立っていました。
復興に着手することになったようですが、話を聞くと何時頃になるかはまったく分からない様子でした。
しかしあの場所まで木材を運ぶだけても大変だろうなぁと思ったり。私が生きているうちは無理なのかもしれない。(^^;
少し登ると今度は「薬師堂」(平安時代・国宝)が現れます。薬師堂は上醍醐伽藍の中央に位置しています。
山頂とも言える高い場所にあるのが「五大堂」です。この「五大堂」に行きたくて上醍醐に登ったとも言えるのです。
この五大堂は延喜13年(913)に醍醐天皇の御願堂として創建され、以後数度の災に遭い現在の五大堂は昭和15年に再建されました。
本尊の五大明王(不動明王、降三世夜叉明王、軍荼利夜叉明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)がお祀りされています。
お堂の前に鎮座する3体の像が印象的で実際にこの目で見てみたかったのです。
本尊の五大明王は災難身代わりの霊尊として全国的に信仰されています。
ちなみに五大堂の水盤舎も水は出ていません。
なんかね上醍醐全体の印象として時間が止まったような雰囲気が漂っている。(^^;
自動販売機もこのとおりで、とても動いているとは思えないのです。試す勇気がなかった。(^^;
でもちゃんとコンセントは繋がっていますね?
ちなみに飲み物は売ってないので入口にある自動販売機で購入してから入山されることをおススメする。
続いて「如意輪堂」(桃山時代・重文)です。
見上げると床が見えるのが凄い!
この「如意輪堂」は上醍醐を開いた際に准胝堂と共に最初に建てられ、「醍醐寺縁起」では創建は貞観18年(876)となっています。
現在のは慶長11年(1613)に建立されたもので、本尊の如意輪観音と共に毘沙門天と吉祥天が祀られています。
如意輪堂の横には「開山堂」(桃山時代・重文)があります。
聖宝・理源大師を奉安したお堂で、延喜11年(911)に理源大師の弟子である醍醐寺第一世座主 観賢僧正によって建立さるも後に焼失する。鎌倉時代に再建されたものの荒廃。
現在のお堂は慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもの。
時間は13時13分。入口から1時間7分掛かったことになります。
開山堂がある場所が醍醐山山頂で標高450mとなっています。
展望スペースから見る景色は山の中に居ることを実感させてくれます。
遠くに町並みが見えて手前には山々が見ることが出来る。
この場所にいると鳥のさえずりと木々が風でなびく音しか聞こえてきません。だって周りには誰も人が居なくて私だけなのですから。(^◇^;
なぜか下へ降りる階段が整備されている。降りてみると。。。
降りた先には「上醍醐陵」がありました。
この陵墓には
白河天皇皇后 藤原賢子
白河天皇皇女 尊称皇后 媞子内親王
白河天皇皇女 尊称皇后 令子内親王
の三人の母子が眠っています。
登る途中に石碑が立っていたのですが、まさかここに陵墓があるとは!
地図で位置関係を確認すると
実際にどのルートを登って場所的にはどこなのかを調べてみると、こんなに歩いていたことに驚かされる!そして山の中だったことを改めて実感することが出来た。
よくこんなところまで歩いて行ったなと。(^^;
登頂(12:06)→不動の滝(12:26)→上醍醐寺務所(12:51)→開山堂(13:13)
下山へ(13:43)→不動の滝(14:08)→女人堂(14:32)
つまり山頂まで1時間7分掛かり、下山には1時間19分掛かったことになります。往復で2時間26分となります。
休憩なしで登りましたが、年配の方はもっと時間を要することになると思います。
あと感じたのは夏場の暑い時期は避けた方がいいかも。(^^;
コンニチワ
山登りしていて登山客とすれ違う時は「こんにちは」と挨拶を交わします。山なんか登らないからこれが新鮮でした。
下山しているときなのですが、登ってこられるカップルなのか夫婦なのか分からないのですが「コンニチワ」との片言の日本語で挨拶が!(^◇^;
一瞬戸惑った(笑)
外国人の方でした。いやぁ意表を突かれたわ。
本日のまとめ
登ってみて神聖な場所だと感じたのですが、それと同時に「准胝堂」が焼失してしまったことで西国三十三ヵ所巡礼の札所が下醍醐に移り、上醍醐に訪れる人が激減した。
人が来ないことで整備されることがなくなり寂れて朽ち果ててる印象を受けた。
立派な重要な建物が点在している場所なので、はやく「准胝堂」が再建されることを望む。
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『総本山 醍醐寺(上醍醐)』
〒601-1325 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
TEL.075-571-0002
入山受付時間:
3月〜12月第1日曜日まで 9:00〜16:00
12月第1日曜日の次の日よりから2月末まで 9:00〜15:00
京都市営地下鉄東西線 醍醐駅から徒歩10分