京都寺社仏閣巡りの第四弾の始まりです!
今回は丸太町の行願寺から徒歩で南下し、本能寺、ゑびす神社、そして五条にある六波羅蜜寺を巡ります。
今回ご紹介するのが「霊麀山 革堂 行願寺」で、ここへは都七福神の寿老人の御朱印と西国三十三所第19番札所の御朱印を頂くために訪れました。
霊麀山 革堂 行願寺
▲ 行って驚いたのが丁字路の信号がある場所に山門があったことです。そして民家に囲まれた町中にあるのも驚きです。
行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。当初の寺地は現在の京都市上京区、京都御苑の西方で、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残る。(ウィキペディア)
▲ 革堂行願寺の「本堂」です。 本堂は京都市の有形文化財に指定され、行円上人の作と伝えられている本尊「千手観音像」が安置されています。
▲ 本堂正面には「革堂観音」と書かれた大提灯がとても印象的で、お寺の規模にしてとても立派な造りとなっている。
▲ 境内はこれだけの広さしか無く規模の小さなお寺だということが分かる。規模は小さいが本堂や庫裏がとても立派なのですよ。
▲ 「愛染堂」です。
▲ こちらが今回の目的のひとつである「寿老神堂」です。ここに寿老人が祀られています。安置されている寿老人像は桃山時代の作とされ、秀吉が万人快楽のためここに祀った。
▲ 横には「七福神像」が鎮座しています。
▲ 「鐘楼」です。
▲ 「鎮宅霊符神堂」です。
▲ 本堂とともに立派な「庫裏」なんですよね。
幽霊絵馬
ここ革堂行願寺は「幽霊絵馬」で有名なお寺なのです。といっても私はここに訪れるまでは「幽霊絵馬」のことは知りませんでした。
「幽霊絵馬」とはどんなものか検索したら写真が掲載されているブログを見つけたので気になる方はご覧ください。
次のような伝説をもつ絵馬である。江戸時代の末頃、行願寺の近くにあった質屋に奉公していたお文という子守女は、聞き慣れた御詠歌を子守歌がわりに口ずさみ、子供まで御詠歌を覚えてしまった。熱心な法華信者であった質屋の主人はこれを見とがめ、お文を折檻し、死なせてしまう。あわてた主人はお文の遺体を土蔵に隠し、知らぬふりをしていた。お文の両親が行願寺で通夜を営んでいたところ、彼女の幽霊が現れ、事の次第を語ったので、真相が明らかになり、質屋の主人は捕らえられたというものである。絵馬にはお文の遺愛の手鏡がはめこまれている。(ウィキペディア)
革堂行願寺の御朱印
今回から新たに購入した「西国三十三所霊場 納経帳」へ御朱印を頂くことにしました。最初に頂くのがこの革堂行願寺になるのです。
そして都七福神の御朱印は「六波羅蜜寺(弁財天)」「東寺(毘沙門天)」「萬福寺(布袋尊)」についで、ここ「革堂行願寺(寿老神)」で4つ目となります。
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1 西国三十三所第19番札所 行願寺(革堂)
2 都七福神 寿老神
本日のまとめ
町中にある小さなお寺でしたが本堂や庫裏は立派な造りで凄かったです。普段は通り過ぎてしまいそうな場所にある隠れた名所ですね。
駅からもそれほど遠くない場所にあるので、興味を持たれた方は一度訪ねてみてはいかがでしょう?
『霊麀山 革堂 行願寺』
〒604-0991 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17
TEL.075-211-2770
京阪電気鉄道 神宮丸太町駅から徒歩10分
(Japan Kyoto, Kodo, Gyogan-ji Temple)